2017年05月31日

しかし、、、アタマでっかちは良くない

文字は、自分の思いや考えを表す、伝える。

手段として、一番、手っ取り早い。
書き手も読み手も、共通の言語を読み書き話していると、相互理解しやすい。

これはあくまでも手段であって、なにを伝えるかが要であるPretty renew 傳銷

最近、わたしは、自然界の映像などを見ると、深いものを感じる。
ナレーションや解説など一言もない。

つい最近、行ったポルトガル。
ここに関して、前以て全く勉強、下調べしなかった。
知っているのは、学生時代に学校で、ざっくり習ったことだけ。
あとは、知人の「何もないとこやで。そんなとこ行って何を見るの?」の一言。

説明は要らない。
見たもの、感じたものが全て。
だが、観光立国にありがちな、見せる美しさであることを忘れてはならない。
美しい観光地は整備され、立ち寄るトイレ休憩の店は、最新の設備が整っている。
しかし、表に現れることがない、人々のナマの暮らしや喜怒哀楽などには触れることはない。
それがわかっていても、美しいものを修復し、維持し、整える継続力は素晴らしいPretty Renew 旺角

それはそれとして、(至れり尽くせりの旅行が楽しいのは当たり前のことで、行ける人はいいよね、と、いろんな人々、角度がある)

「知識は不要だ」みたいな新書を本屋で見た。
2000円もする、西洋人らしき著者の本で、ざっと立ち読み。
全くの無知は論外だが、知識に頼る、絶対的自信を持つことを諌めた内容で、全て同感。
知ったかぶりすることなかれ、知らないことは素晴らしい、未来に発展して延びる因子だそうだ。
知識は毎日毎秒、更新されなければならないので、自分の知識にあぐらをかくな、というかんじの内容。(咀嚼、わたし風解釈)

知識だけでなく、感性も変化するはず。
文字だけに頼らない伝達、伝授、
浅知恵だったり無知だったりする、そこから深いもの、真理を読み取ることがある。

伝達能力のないものから、なにかを読み取るのは、受け手側の洞察力や感性に他ならないと思う。

なので、文字ばかりに頼らない、自由な時空、発想、感受性も大事だなあと思う今日この頃だPretty renew 傳銷。  


Posted by love at 11:25Comments(0)

2017年05月17日

古い衣を脱ぎ捨てて、新しい老人になる

86歳から88歳の2年間で、出来なくなったこと、あれこれ。
産まれてから2歳までの2年間で、出来るようになったこと、あれこれ。
血統、縦つながりで、わたしの、88歳の母と、2歳の孫實德環球
同時進行。
これに、今秋、沖縄旅行に行った後「オスプレー」の説明をしてくれる、3歳半の上の孫を加えると、84歳半から88歳の母の、下降曲線と、孫の上昇曲線も、対比例がさら

に鮮明になる。

この2ヶ月の間に、90歳を超える、ご長老親戚が、バタバタと立て続けに亡くなった。
この世を去るかたわらで、新しい命が産まれる。
(人口は、産まれる人数のほうが少ないから、当然ながら少子高齢化になる)

わたしの年齢は、昔なら鬼籍に入るコース間近なお年頃。
しかし長らえている。
今からが黄金のシーズンらしい。
が、わたしは、得体の知れない無力感に襲われている。

新しい老人が誕生する直前の、産みの苦しみか實德環球
ニューオールド前夜祭。

お祭り騒ぎをする気分にはなれないけれど、何かが動いている。



はたまた、新老人育成セミナー、入塾決定、前期分講習料、納入手続き前か。
いやだ〜、行きたくない〜。
駄々をこねてもかわいくないお年頃でもある實德。  


Posted by love at 11:35Comments(0)

2017年05月04日

動かない人

犬の散歩をするときに選ぶ道のひとつに、元は用水路だったと思われる遊歩道がある。

幅2メートルあるかないかの舗装路で、車はもちろん通れないし、真っ直ぐな道のところどころ(別の道をまたぐ様なところ)には鉄製の柵状のものが設置され、自転車も容易には通り抜けられないようになっている。歩くには安全だけど、それ以上でも以下でもない。花もなければベンチなどもない道だ生髮方法



最近になって、その道の途中の片隅に、おばあさんが座っているのを見かけるようになった。荷物を入れて転がせるし腰掛けにもなるあのシルバーカートに座り、隣家の生け垣に溶け込むようにして、うつむき加減でじっとしている。とにかくじっと動かない。



一度目は夕方近かったので、買い物の途中で疲れて座りこんでいるのかと思って様子を見たけれど、呼吸の乱れもなく、ただ静かに座っているだけなのが分かった。二度目はお天気もよかったので、日向ぼっこかもしれないと思った。が、3度めに見て、なんだかやっぱり変だと思った。時間もまちまちだった。家にいたくない理由でもあるんだろうかと邪推してしまった。



公園ならともかく、通る人も少なく立ち止まる人などいない、殺風景なコンクリートの道の端だ。帽子を目深にかぶり、マスクもして、手袋もして、辺りを見るでもなく下を向いているこの人はここにいて何が楽しいのだろう。犬を連れていると、大抵の人が犬の方を目で追うけれどそれもない。じぃーっとしているだけなのが不可解で、申し訳ないけれど、あまり見ないようにして通り過ぎた3m淨水器



けれども昨日は、その人の顔を見た。
犬と歩きながら、「ああ、またあのおばあさんがいる」と思って視線をあてていたら、ふわっとおばあさんが顔を上げたのだ。帽子とマスクの間に「目」が見えて、その目がニコっと微笑んだ。



声はなくても、それは普通に優しく「こんにちは」というようなニッコリだったから、私も反射的に「こんにちは」と言った。なんだなんだ、最初から目を合わせて、挨拶すればよかったんだなぁ、次からはここでおばあさんを見かけても気が楽だぞ。



……と、ほっとしたのだけど、今になって別の考えが頭をよぎる消毒噴霧



あの笑顔は、「あら、あなた、私が見えるの?」って、言っていた?



いや、ないないない。  


Posted by love at 12:48Comments(0)